SNOWLOGの日記

日々読書、日々学習、日々成長を目指すブログです。Twitterもやっています。

疑問形で批判されると逃げ場がなくなる。


 練馬区の殺人事件について

 6月1日の午後3時半頃、

東京都練馬区の住宅から

「息子を刺殺した」という110番通報があり、

事務次官の70代の容疑者が逮捕されたことが、

6月1日に報道された。



 事件の6日前の5月26日、

被害者は容疑者に対して激しい暴行を加えたとされ、

それは、加害者である父親に実の息子の殺害を決意させる

ほど酷い暴力であったようだ。


 被害者は定職に就かず、

毎日オンラインゲームをやって遊んでいて、

一家には経済的に余裕があったようである。

事務次官だからそうであろう。


 被害者は親から送金を受けていたと思われる。

 また、母親を憎んでおり、

家庭内暴力をふるうようになったのは、

中学生からとのことで、

これは40代になっても続いていたようだ。


 40代の事件ではないが

1970年代に起きた、

西日暮里の進学校に在籍する生徒が

親に殺された事件を

連想する。


 世間的にはここで疑問が出てくるようだが、

「なぜ40代にもなって親の扶養なのか」

という疑問を持つ人がいるようだ。


 つまりは自立しろということなのだろう。

あるいは40代になったら自立しているはずだという

先入観があるのかもしれない。


 練馬の事件では、

70代の父親は、

40代の息子を扶養し続けたのか? 

 被害者の息子さんは

最近になって同居を申し入れたようである。

これも人によっては疑問に

おもう方もいるかもしれない。


 しかし、しかしである

日本では中高年の引きこもり

が60万人超えるという

数字が現実にある。

扶養しているのは高齢の親だろう。


 未成年の引きこもりをカウントすると

100万人を超える。

 日本国民の1割弱が

引きこもりというのが現実である。


 高校卒業後に、40代まで無職で

親の収入にたよっていたが

40代で事故で亡くなって、

(おそらくは今もそうであろうが)

親の戸籍に入ったままの人を知っている。


 50代で両親に死なれて、

両親の遺産で生活している人も

知っている。


 結果論ではあるのだが、

練馬の事件の加害者については

加害者は被害者の同居の要求を

拒むべきであったと

いってる人がいる。


 そうなのかもしれない。

同居していなければ

被害者は殺されなかっただろう。

 親が子をつきはなしていたら

殺人事件は起きなかったというのだ。


 いちおうは3親等まで

互いに扶養の義務がある。

親子、夫婦、兄弟、祖父母と孫、

(めったにないが)おじおばと甥姪

は扶養の義務がある。

 
 ポイントは

高齢の親が中高年の子を

扶養するのはおかしいという

疑問が出てくることだとおもう。

 この疑問の是非はともかく

疑問が実は批判になってしまう

ことがある。

 いっけん疑問なのだが

中身は批判なのである。

「しぬのなら一人でしね」

という世間からはじかれている人を

さらにはじく言説と同質である。


 疑問形の批判は

いっけんもっともらしいのだが

言われる方を追いつめないだろうか?


「なぜ、できないの?」

「なぜ働かないのか?」

「なぜ親と同居しているのか?」

「俺がなぜ怒っているのか、わかるか?」

「俺が何を考えているのか、わかるか?」

(「わかりません」と答えても「わかっています」と

 答えても怒られる。)

「誰が悪いの?私が悪いの?」

(黙っているとさらに怒られる

 答えても

「そんなことは聞いていない」と怒られる。)



 引きこもりの人たちにとっては

自身が置かれている現実とはまた別の

疑問を装った批判がやってくるのは

二重に辛いのではないだろうか?


 それでも殺したり

殺されたりすることについては

断固否定されるべきであるが。


 実に日本的な非論理的な

かわらない光景が存在しているのであるが

引きこもりの人たちは

この疑問によって

自分たちの存在を否定されてしまうのである。




最後まで読んでいただいて

ありがとうございます。



子供たちの復讐 (朝日文庫)

子供たちの復讐 (朝日文庫)