SNOWLOGの日記

日々読書、日々学習、日々成長を目指すブログです。Twitterもやっています。

ノルマンディー上陸作戦から75年。




 引きこもり支援業者に悪質な業者が

あるらしいです。


 薬物で逮捕、親が子を殺したり

子が親を殺したり

高齢者の運転する車が事故起こす

こんなことばかりが報道されています。



 「史上最大の作戦

ノルマンディー上陸作戦(ネプチューン作戦)から

本日6月6日で

75年経ちました。


 映画化されて有名です。

 イギリス軍とアメリカ軍が上陸したのですが、

自由フランス軍のトップのドゴール将軍もやりたかったようです。

イギリスに亡命していましたが。


 フランス人も200人弱上陸作戦に加わっています。

当事国が作戦にくわわれないってのは

おかしいですからね。

 フランス軍にはヘルメットなしの

10代の少年兵もいたようです。

危ないですね。

国のために命がけです。


 どこから上陸するか?上陸作戦における候補地は、

アフリカ北西部やノルウェーなど、他にもいくつかありました。

 しかし、準備が整わなかったり、

効果が薄そうということで中止になってしまいました。

 最終地として、フランス北部沿岸の

ノルマンディーが選ばれたのです。

当初はイギリス軍とアメリカ軍のみで

実行されることになっていました。


 ドイツも、いずれイギリスとアメリカはフランスへ

上陸してくるに違いないと考えていました。


 しかし、上陸地点はイギリス・フランスの間の

カレーだと思っていたので、

そちらに注力していました。


 ドイツの作戦は「上陸してきたら水際で叩く」と

いう場当たり的なものでした。


 さらに、ドイツのトップのヒトラー

イギリス軍は、ドイツが占領している

チャンネル諸島を取り返しにくるに違いない

と思っていたようです。


 そのため、大陸よりもチャンネル諸島

防衛に力を割いていました。


(なぜ西尾幹次氏はヒトラー

 政治的天才と評価するのか不思議ですね。

 政治家以前に軍人としてもダメだと思うのですが。

 本人は政治家とも軍人ともおもっていなかったようです。

 自分は芸術的画家か建築家と思っていたようです。)


 イギリスは自国の領土にこだわるはずだと

ヒトラーは考えていました。

チャンネル諸島を手放すはずはないと。


 サッチャー首相はフォークランド紛争のときは

自国の領土にこだわりました。

主権、領土、国民が国を構成するというので


 しかし、二次大戦中のイギリスは、

チャンネル諸島を奪還したとしても、

あまりメリットはないし、

民間人が犠牲になるという怖れがありました。

よって、チャンネル諸島の奪還は考えていませんでした。

戦時と平時では違いますね。


 トップがダメだと配下のものがたいへんです。

ドイツの本職の将軍たちは、

イギリスとアメリカがノルマンディーに

上陸するのではないかだろうかと考えて、

 名将とよばれたロンメル将軍も

急いで地雷原をつくったりしています。


 これに対し、イギリスとアメリカにも

不安要因はありました。

上陸作戦の暗号が事前にドイツに

しられてしまう失態もありました。

 暴風雨で天候も非常に悪かった。

上陸開始も6月6日となりました。

 ドイツの方も暴風雨がもっと長引くと楽観しており

今、考えるとのんきなものでした。


 ついに6月6日、上陸開始します。

空から陸からの大作戦でした。

 上陸作戦でのオマハビーチの戦闘は

映画『プライベート・ライアン』で再現されていますが

経験した人からみて、映画の描写は

ひじょうにリアルだそうです。

 ドイツ軍は6月下旬までは

持ちこたえていましたが

フランスではついに劣勢となり、

東部戦線では6月下旬にソ連が攻勢となり

イギリス・アメリカとソ連

挟み撃ちにあいます。

二か月後の8月下旬にパリは解放されました。



 指揮官の一人、モンティ、

慎重派のバーナード・モントゴメリー将軍

(気性の激しいところもありましたが、)

は、1944年中に、この戦争を終わらせたいと

考えて、V2発射阻止と機雷除去のために、

 ノルマンディー作戦をうわまわる規模の

空陸の史上最大の大作戦、

マーケット・ガーデン作戦を

1944年9月に指揮するのですが・・・





最後まで読んでいただいて

ありがとうございます。



コーネリアス・ライアンの戦史

史上最大の作戦 (ハヤカワ文庫NF)

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