SNOWLOGの日記

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東京山手大空襲から74年。


 本日は海軍記念日でした。

トランプ大統領

護衛艦の「かが」に乗艦するようです。

海軍記念日に合わせたのか?

 護衛艦とはいうものの

みためは空母ですね。

微妙に違うようですが。


  昭和20年(1945年)

5月25日午後10時から未明にかけて、

東京の山の手方面に

470機のB29が空襲に来た。

一面に焼夷弾を降らせました。

この一晩で、死傷者7415名

死者3651名、

焼失家屋16万6000戸の

被害を出したそうです。


 施設つくるつくらないでもめた

青山も被災して、

南青山(青山南町)、北青山(青山北町

など青山界隈は被災率が高く、

9割以上が焼けたのではないかといわれています。



 東京大空襲は下町のほうが有名ですが

山手空襲では5月24日から26日にかけて

一気に焼き尽くされました。

 5月24日未明、500機以上のB29は渋谷、

世田谷、目黒、大森、品川地域を爆撃し、

3月10日の東京下町大空襲を上回る

3000トン以上の爆弾を投下しました。

(年配の方がおっしゃるには

 山手は新宿までなので

 新宿より西にある世田谷や

 目黒や大森が山手だったかというと

 疑問があるといいます。)


 さらに5月25日の午後10時過ぎから、

470機のB29による大規模空襲が始りました。

 この攻撃により中野や四谷や

牛込や麹町や赤坂などの

山手地域から霞ケ関

丸ノ内付近まで大火災が発生しました。

 東京赤煉瓦駅舎もこの空襲により全焼し、

建造時のドーム型屋根を失いました。

最近もとに戻っているようです。


 この空襲によって東京は

ほぼ全域が燃えて灰になって、

米軍は東京をその爆撃リストから

外すことになりました。


 東京の「街殺し」、町の破壊は

六回あって、

一度目は幕末に起きました。

二回目は関東大震災の時です、

三回目は東京大空襲の時です、

四回目は昭和39年の東京オリンピックの時です、

五回目はバブル期に起きました、

六回目が現在進行中です。


 壊れているので新しく

つくられるのですが

そこにはお金が動くので

人が集まってきます。

良し悪しだとは思います。


 山手大空襲については

深夜に自分のお店を開けて

避難してきた人たちを

迎い入れて救った

ところもあるようですが、

金融機関は開けなかったようです。

 金融機関の近くには金融機関の建物内に

逃げようとして焼け死んだ人の

ご遺体の山が建物の外の二階の方まで

できていたようです。

火に追われて必死によじ登ったのでしょうが

そのまま焼け死んでしまったのです。


 下町大空襲同様に

非戦闘員の民間人が

多数殺戮されたことは

ひじょうに恐ろしいことでした。




最後まで読んでいただいて

ありがとうございます。



 参考文献

『表参道が燃えた日 山手大空襲の体験記』 「表参道が燃えた日」編集委員会制作 (2008年)