SNOWLOGの日記

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冤罪で無罪判決の公算大。甲山事件から45年。

  16年前の2003年、滋賀県の病院で

患者を殺害した罪で実刑となり、

服役をしていた元看護助手について、

最高裁判所が裁判のやり直しを認める決定をしました。

無罪が言い渡される公算が高まったことになるようです。


 2003年、滋賀県東近江市

湖東記念病院で看護助手だった

西山美香さん(現在39歳)は、

70代の入院患者の人工呼吸器を外し、

殺害した罪に問われ、懲役12年の有罪が確定し、

2017年まで服役していました。

 弁護側は、有罪の根拠となった自白は、

取調官に誘導されたもので、

患者の死因は自然死の可能性もあると主張、

裁判のやり直しを求めていました。


 1審の大津地裁は再審請求を退けたが、

2審が再審を認める決定をし、

最高裁も18日付の決定で、

検察側の特別抗告を棄却、

裁判のやり直しを認めた。

これを受け、1審の大津地裁

やり直しの裁判が開かれ、

西山さんに無罪が言い渡される

公算が大きくなりました。

 
 ひどい話ですね。

懲役12年なので、西山さんの20代後半から

30代前半の日常がなくなってしまいました。

こういう事件は戦後なくならないですね。

 21世紀になっても「自白が証拠の王」

といいはる警官がいますから、

呆然あ然とします。


 2007年6月には北九州市

北九州八幡東病院の看護師が爪を

剥がしたと誤認され

傷害罪で逮捕された事件もありました。

控訴審で正当な医療行為であったと

認められ無罪判決

となりました。



 有罪判決が出ていないので

厳密には冤罪とは言えない事件では

ありますが

もうこの事件は冤罪でしょう

という事件が甲山事件です。

決着つくまで25年かかりました。


 事件の概要は、

1974年3月17日の

16時30分頃、

兵庫県西宮市の

六甲山系甲山の山麓にある

社会福祉法人甲山センター内の(当時)

精神薄弱児施設「甲山学園」の

園児の12歳のAさんが

行方不明となりました。

続いて19日20時頃には

同い年のB君も行方不明となりました。

 同日21時30分、職員らが

捜索をしていたところ、

中・軽度の障害児が暮らす青葉寮裏の

第1浄化槽から2人の水死体が

発見されたというものです。


 兵庫県警は遺体発見直後から、

甲山学園の全職員に対し任意出頭を

求め、個別に事情聴取を行なった。

園児に対しても、お菓子を与える

などして事情を聞いていました。

(お菓子与えるというのは

 いいでしょうか?)


 このトイレ浄化槽付近は日頃から

園児たちの遊び場となっており、

当初は事故と見られましたが、

遺体が発見された時には

浄化槽の重い蓋が閉まっていた

(実は園児でも複数人いれば

 蓋は開けることが

 できたようです。)

ことから、

20日から殺人事件として

園内に取調室を設けて捜査を

開始しました。


 当初から

「知的障害の子どもが犯行を犯すはずがない」

として事故の可能性も含めて

園児の関与を事件から排除して

しまいました。

(こういう決めつけが

 冤罪を産むのだとおもいます。)

 園児が行方不明になった両日に

園内にいた職員による犯行だと

決めつけてしまいました。

「園児は関係なく、

職場のなかの誰かが犯人」

ということが

やがて同僚中で猜疑心を

生むことになりました。

事件から2週間が過ぎたあたりから

「Cさんが怪しい。」

という調書が出来ていた。

さらに4月4日には11歳の

園児の目撃証言で

アリバイのないCさんの名前が

出てきました。


 4月7日午後2時ごろ、

B君の殺害容疑で

甲山学園の保母Cさん(当時22歳)が

逮捕されました。

 Cさんは中学生のころから

障碍者のために働くことを

志して、短大卒業後の1972年に

甲山学園に就職しました。


 物証がないにも関わらず、

Cさんは1974年に逮捕されました。

その後釈放、不起訴となりました。

 検察審査会が「不起訴不当」の

議決を出したため、

警察による再捜査が始まって

しまいました。

(1990年代までの

 検察審査会はあまり

 影響力のない機関でした。)

1978年に再逮捕、起訴、

1985年の1審の神戸地裁では

無罪判決、検察は控訴、

 1990年に大阪高裁が

1審の無罪判決を破棄、

神戸地裁に差し戻します、

Cさん側はこれを不服として

最高裁に上告、

 1992年に最高裁は上告を

棄却して

神戸地裁へ差し戻します。

(18年経って最初に

 戻ってしまいました。)

1998年に神戸地裁は再度

Cさんに無罪判決を言い渡しますが、

検察は再び控訴、

(もうここまでくると亡くなった園児の

 ことよりも検察の意地と面子なの

 でしょう。)

1999年に大阪高裁はCさんに対する

無罪判決を支持して、

検察側の控訴を棄却しました。

 5回の裁判で一度も有罪判決は

ありません。


 1974年の逮捕から

25年かかっています。

警察のずさんな捜査や検察の意地

の酷薄さを感じますね。

 ある日突然逮捕・起訴されると

いうのは

フランツ・カフカ

「審判(裁判)」みたいですね。

 1998年3月に無罪判決が出た時には

Cさんは48歳になっていました。


 有罪判決が一度もないのが

救いですが、Cさんが裁判で

二度無罪判決を言い渡されるまでの

24年間の時間は取り返しが

つかないですね。

取り調べの可視化や弁護士の同席が

望まれますね。



最後まで読んでいただいてありがとうございます。

甲山事件 えん罪のつくられ方

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ドキュメント 甲山事件

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