SNOWLOGの日記

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世田谷一家殺害事件から18年。


 東京・世田谷区で宮澤みきおさん一家4人が

殺害された事件から本日で18年である。

 この事件は2000年12月、世田谷区上祖師谷で、

宮澤みきおさんの一家4人が殺害された事件である。

 事件から18年となった12月、

上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件

と警視庁ではいっている。

 その警視庁は今月、当時の現場周辺の街並みを

再現した3D動画をホームページに公開した。

宮澤さん宅の後方が死角になっている。

情報提供を呼びかけていて、犯人逮捕につながる有力な情報には

最高で2000万円が支払われることになっている。

  警視庁三大未解決事件の一つの世田谷一家殺害事件には謎も多い。


 事件の概要は、

2000年12月30日午後11時頃、

東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宮澤みきおさん宅で、

宮澤さん、妻の泰子さん、長女のにいなちゃん、

長男の礼くんの4人が殺害された。

隣に住む宮澤さんの母親が翌31日の

午前10時40分過ぎに発見し、

事件が発覚したというものである。


 警視庁特捜本部のサイトで公式に発表されている犯人像は

犯人の身長は170センチメートルで痩せ型で

遺留品のヒップバッグには蛍光剤の跡があった、

このことから犯人は学生か学生時代に蛍光ペンを使った

15歳から20歳くらいの人物か、

あるいはこのヒップバッグを

長く使用している人物ではないかと。

犯人は手を負傷している。血液型はA型、男性、

二階の浴室窓から侵入していることから、

事件当時は15歳から35歳と推測される、

というものである。


 最初に二階浴室の隣の部屋で寝ていた長男礼君が殺害され、

一階にいた宮澤さんが二階の物音に気が付いて

二階へ向かったところ殺害された。

宮澤さんは臀部と足にもけがをしているが

これは謎の一つである。

犯人は礼君を殺害後にすぐに一階に下りてきていたのか、

宮澤さんは気が付かなかった。

宮澤さんの下の方にいなければ、

このような傷ができないのではないか。

階段で二階に行こうとしている

宮澤さんを後ろから切りつけたのではないか?


 妻の泰子さんとにいなちゃんも殺害されたが

女性二人は酷く刺されている。

なにか怨恨があるのではないかと思われたが、

抵抗されて夢中でやったのではないかと。


 犯人は室内を物色しているが、引出を下から開けるなど

窃盗犯の典型的な手口である。

現金20万円がなくなっている、

銀行の通帳と印鑑は残されていた。

書類を浴室でしらべた形跡があるが

これはキャッシュカードの暗証番号を探していたのではないか。

貴金属類は持ちだされていない。


 泰子さんは学習塾を経営していたが、

年末に月謝が集まることを

知った犯人がそのお金を狙ったのではないかという説がある。

また、宮澤さん宅は近所の祖師谷公園の拡張のために

立ち退くことになっており

立ち退き料の大金が支払われていたので、そのお金を狙っていたとも。

  ある程度宮澤家の経済状態を知っていたものの犯行とも思われるが

窃盗犯が年末に金に困ってやったのではないか。


 外国人の犯行、組織犯罪の説もあるが、

大半の犯罪の犯人は怪人物ではなく、

たいしたことないやつである。

この世田谷一家殺害事件の犯人も年末に金目当てで

犯行に及んだものと考えられる。


 この事件と似た事件にアメリカのクラッター一家殺害事件がある。

1959年にカンザス州の農場主クラッタ―氏一家が殺害された。

犯人の二人は刑務所を出所後に

クラッタ―氏の自宅・事務所に侵入したが

クラッタ―氏は普段小切手で取引をしており、

金庫もなく現金はほとんどなかった。

奪った現金は数十ドルであった。

犯人たちはクラッタ―氏の自宅の金庫には

数万ドルがあるという刑務所仲間の

偽の情報を信じていたのだった。

犯人たちはこの刑務所仲間の証言によって

逮捕起訴され、1965年に処刑された。

この事件をもとにしたノンフィクションが

トルーマン・カポーティの『冷血』である。


 宮澤さんのお父さんは6年前に亡くなっている。

お母さんは犯人には出頭してほしいと言っている。

世田谷一家殺人事件の加害者は生きているのか

死んでいるのかはわからない。

生きているのなら出頭するべきだろう。



世田谷一家殺人事件  15年目の新事実

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冷血 (新潮文庫)

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